長者町の歴史

吉田新田

1600年 天下分めの関ヶ原合戦起きる
1603年 徳川家康 江戸に幕府を開く
その53年後
1656年(明暦2年)江戸の本木材町の商人「吉田勘兵衛良信」
当時横浜村の釣鐘状の大きな入海の両岸の土を削り大規模な埋立工事を
行った。一時災害等で中断したが11年あまりの歳月をかけ大開墾を行い
新田116町歩(35万坪)の吉田新田を完成させた。

長者町の町名の由来となりたち

1870年(明治3年)吉田新田とつながる八丁縄手を長者町と改名
その6年後位からこの辺りに一文菓子とか駄菓子を安く製造販売する菓子問屋が現在の9丁目付近にたくさん店を開いた。子供達が集まるので自然おもちゃ屋も増える。
明治から昭和の初めにかけてお菓子屋とおもちゃ屋の店で大いに賑わった。

当地の名所
大井戸 

埋立工事の本拠として必要欠かせない用水を確保するため現在の土地を掘削したところ海中の岩盤を破って湧き出した水は大変清く、工事のために動員された人々や付近の住民の飲み水として大いに役立った。水深6.9メートルあり横浜開発史上記念碑的存在となる。
清正公堂

吉田新田埋立完成後 吉田勘兵衛が新田の守護と諸霊供養のため現在の長者町8丁目に創建した「常清寺」境内に奉安されたのが開運の守護神としての「清正公堂」である。
祀られている加藤清正は熱心な法華宗(日蓮宗)信者で慈悲に富み人々に慕われた。清正公に祈れば祈願成就するということで信仰を高めた。現在の所在地は9丁目神奈川銀行本店の裏側にあり商栄会事務所のはす向かいに位置する。